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ハチワンダイバーに見る「真剣師」小池重明の凄絶な生涯

 22, 2014 04:53


ハチワンダイバー終わっちゃいました。 >_< 

あぁ~、これで好きな漫画がまた一つ。伝説に・・・。

え?ハチワンダイバーご存じない?

説明しましょう。 

ハチワンダイバーイメージ4



町の将棋道場で生活費を稼ぐ日々を送る「将棋漬け」の主人公。

ある日、「ぽっちゃりメイド」で凄腕の将棋指しと出合い、本格的な真剣師(賭け将棋)の世界へ入り込んでいく。

ヤクザも恐れる「真剣師の総本山、鬼将会」ってのは?一体なに?
鬼将会のトップに辿りつく為に将棋を打ちまくる!って話のマンガ。


マンガは世界に通じてる?


「将棋は世界に通じてる」

どこから、この発想がでてくるのか分からないが、とにかく、将棋の世界観が独特だ。 オモシロい。
将棋をしたことのある人は読んでほしい。



自分は学生の頃、将棋にハマッていた時期があって周りの中ではけっこう、強かった。
矢倉、振り飛車、美濃囲い、穴熊。将棋の戦法を、わざわざ本買って一人で研究なんかしていた。

社会人になってからは殆ど、将棋をしていない。

将棋は「一に相撲、二に将棋」と言われるほど、プロとアマの差が歴然であるとされている。
全国から天才たちが奨励会(棋士の養成機関)に入会し、棋士を目指すが、8割は辞め、仕事経験の
ないまま、社会に放り出される。

実は恐ろしい世界なのだ。




 新宿の殺し屋と呼ばれた天才棋士



ところで、ハチワンダイバーは真剣師を描いたマンガだが、今から20年ほど前に「稀代の天才真剣師」と言われた男がいる。

小池重明(こいけじゅうめい)だ。

将棋の天才と言われながら、44歳の若さで波乱の人生の幕を閉じた一人の棋士。


「異端の天才棋士」、小池重明はこんな人物↓


子どもの頃から、貧困層とバクチの中で育った。

賭け将棋にめっぽう強く、「新宿の殺し屋」「プロキラー」と呼ばれた。

連続二期アマ名人となり、特例でプロ棋界入りの話もでたが、寸借詐欺事件を起こし、将棋会から追放された。

女性関係にだらしなく、人妻との駆け落ち歴三回!

職を転々とし、放浪癖と逃避癖は生涯抜けることがなかった。



ここまで見ると、なんだか、物凄くカオス(混沌)的な人物象ですねぇ^^、


が、ハッキリ言って、小池重明という人間の生涯は「小説以上に面白い」ですよ!
将棋をしたことがない人でも、「この人は一体、なんなんだ?」って思っちゃいます。

 是非! 最後までお読みください。 





 不可思議な人間性




小池重明さんと付き合いのあった人から見ると、彼には不可思議な魅力があった。

人間の「不純性と純粋性」を兼ね合わせていて、善意と悪意。大胆と小心。勇気と臆病を総合した人間だったらしい。

多くの人に嫌われ、また、多くの人に愛された人間が小池重明だ。


人妻との駆け落ちを三回もくり返して最後の最後に、「奪った女を他人に奪われて」ハイ、それまで。人生を投了して終わってしまった。


小池重明さんは平成4年、5月に亡くなった。
肝不全による死亡らしいが、なんと生命線のパイプ管を自分で引きちぎったらしい。

彼の死後、フォーカス、週刊新潮、週刊読売、月刊現代などのマスコミはこぞって取り上げた。

プロのA級棋士が死んでもこれほど、派手に扱われないようだ。



~小池さんが書いてた「流浪記」より


 昭和22年12月24日、私は名古屋市中村区牧野町で生まれた。

牧野町は名古屋駅西口、通称、駅裏通りから歩いて十分ぐらいのところにある。

物心ついたときにはもう父はいなかった。小池信春が私の新しい父になっていた。

私は木造二階建ての「半ば朽ち果てたおんぼろ」アパートに住んでいた。

アパートに住んでる全員が世帯もちだが、亭主といえば「チンピラやくざ」か、遊び人。
女房といえば例外なく夜の女であった。

私の親父の仕事は物もらいだった

親父には松ちゃんという仕事仲間がいて、二人でコンビを組んでいた。

「身体全体がケロイド状」になっていて、物もらいにはうってつけのコンビといえた。




父親が物もらいで母親が夜の女。

少年期の悲惨な家庭環境なのにどこか、ニュアンスが明るいのがまず、不思議。
小池さんは父親と将棋を指すことで将棋を覚え、高校時代には猛烈に将棋にのめりこんで行く。

父親は小池さんに勝てなくなってから将棋の相手をしてくれず、
将棋の相手を求め、名古屋で一番の繁華街、栄町にある「将棋教室」に足を運ぶようになった。


小池さんの家庭状況ではキツいお金を払って将棋教室「板谷道場」に通ったという。
それでも、当時はなかなか勝てず、負けると悔しがった。


将棋って、負けると悔しいんですよね~。


「どんな分野でもそうだと思うのですが、とりつかれたり、狂ったりするのは三年ぐらいがいいところじゃないですか。
 あとは惰性で勉強して十分だと思うんです」

こう、言っている。

16歳の頃、小池さんは板谷道場で棋力三段の認可を受けた。

初めて参加した学生将棋大会に高校一年で優勝したというから驚くべき進歩ですね^^。


学校には週に一回、顔を出すか、出さないか。 学業を無視して将棋に徹底して打ち込む。
お袋から貰う「一日千円の小遣い」はその日の将棋の研究費に使う。

飯より将棋が好きで、将棋の雑誌や定跡書では勉強せず、実戦主義。

とにかく、自分より将棋の強い人との実戦。

小池重明の将棋の勉強方法は言ってみればこれだけだったらしい。

短期間で強くなる訳です。




 最初の真剣将棋




それから、小池さんは新しい将棋道場、「大閤将棋クラブ」に通い始めた。

名古屋駅から西へ二キロほど。近所には飲み屋と売春宿がひしめいている。その近くには名古屋競輪場、中村遊郭があるどぎつい場所だ。

クラブの横手に走ってる道路が「大閤通り」と呼ばれていてそこからとったものらしい。豊臣秀吉が若い頃、よく散歩していた道だ。

そして、小池さんは大閤将棋クラブで出会った女の子に惚れる。


惚れた女の子にちょっかいをだしていた伊沢という男と最初の真剣将棋(賭け将棋)をやる事になる。

悪友がそそのかして、真剣将棋の流れになったらしい。

真剣将棋の賭け額が2万から5万に跳ね上がったところで何故か、悪友の知り合いに
やくざの倅がいて、真剣将棋の場に応援団を20人も連れて乗り込んできた。


誰だってそんな状況で「本来の実力」を出せるわけがない。


当然、勝負に勝ち、初めての真剣で金を稼いだ。

しかし、そのことが将棋クラブにばれて、クラブを破門。同時に学校までやめてしまった。


小池さんは高校中退後、売春宿に就職する。

 ↓
学校の教務主任を売春宿に呼び込み、それが親父にばれてクビ。

 ↓
名古屋市中区の喫茶店に住み込みで働く。

 ↓
ウェイトレスの女の子に惚れて貢ぐも、ドロン!されてガックリ。

 ↓
知人の紹介で岐阜の喫茶店で働く。

 ↓
喫茶店を経営してるホテルのオーナーの嫁さんと肉体関係をもつ。

 ↓
罪悪感からか、そこも辞め、名古屋に戻る。



ど~も、小池重明という人は女に好かれると言うか、「惚れやすい性」みたいですね^^、

ガッチリした体格に背が高く、男らしかったという。

小池さんが名古屋市内の将棋クラブをまわって将棋の腕を上げたのもこの頃だ。

「将棋を指してお金が貰える。これは私にとって新発見の分野でした。
クラブでは次第に私の名が知られるようになり、平手で向かってくるものはいなくなりました」


確実に怪物真剣師へのルートを辿っている。





 小池さんは「性格破綻者なのか?」





 駅前将棋道場を仮の宿と決め、雑用を引き受けながら居候をした。

その道場は「真剣師の溜まり場」で小池さんはここで、更に将棋の腕を磨いていた。


翌年、初めてアマ名人戦の県大会に出場し優勝する。

 ↓
戦友の関則司を頼り、上京。将棋の修行を積む。(このとき、21歳)

 ↓
プロ四段に勝った金で飲み歩き、他人の敷地で寝ていたところを警官に捕まり、
留置所に連行された。(しかも、三億円事件のあった日)

 ↓
本格的にプロになる決意をする。松田八段のお墨付きをもらう。

 ↓
なんと、道場の金を使い込みキャバレー女に貢ぐ!
プロを断念し、名古屋の実家に舞い戻った。
 
 

将棋のプロになるには奨励会の試験を受けて受からないといけない。

しかも、試験を受けるにはプロ棋士の誰かと「師弟関係」を結ばないといけないのだ。

それを蹴って、キャバレー女に貢とは・・・・若気の至りなのか^^、



将棋を忘れ、父親の勤める葬儀屋で働く。

 ↓
十四歳年上の未亡人と駆け落ちする。

 ↓
静岡、千葉と渡りトラックの仕事を転々とする。
そのころ、二人の間に子どもが出来たが、肺炎であっけなく亡くなった。

 

小池さんは子供の死後、嫁さんと上手くいかなくなっていた。
トラック乗りの仕事も辞め、東京のアマチュア将棋大会に出場した。

そこで関則司と再会する。

関則司は「アマチュア将棋連盟」を発足したという。




「子供の死後、しっくりいかなくなった女房と語り合いました。
もう一度、将棋を指したい、というと別に反対はしませんでした。毎月、生活費を
入れてくれれば好きなことをしていい、というのです。

それから、私は新宿の天狗茶屋に入りびたりとなりました。
つまり、女房とは完全、別居状態となったのです」






 新宿の殺し屋誕生!




東京一の盛り場、新宿。

なかでも歌舞伎町は最もどぎつい地帯である。
昼間から盛り場の騒音で埋め尽くされ、夜ともなれば「ネオン河」と化し、
乱雑な音楽が街をいっそう、強調する。


小池さんは新宿に住みついて真剣師としての腕を本格的に磨くことになる。

「新宿の殺し屋」のあだ名がついたのもこの頃だった。




「真剣師ちゅうのはお客にこいつなら勝てると思わせるのがコツですね。
こいつにはとても勝てないと思わせたらお客は逃げてしまうもんです。カモが寄り付かんようになったら
真剣師なんて、ミジメなもんですわ」


つまり、麻雀とかと一緒だ。

最初は少ないレートでわざと負けて、カモが調子にのってきたらレートを上げる。

強いのか、弱いのかようわからんように勝つのがコツなのかもしれない。


一局、何十万、でかい勝負だと何百万の大勝負には真剣師に「乗り手」がつく。
つまり、スポンサーだ。 

真剣師が負ければ「乗り手の金は飛ぶ」。

勝つ事が義務づけられているのが真剣師なのだ。



この頃、真剣師としての小池さんの評価は高まり、業界では誰一人知らぬものはいなくなった。

業界での評判が高まると、真剣師から挑戦状が届くようになった。


「大阪・通天閣の死闘」は有名である。

相手はアマ名人位を二期獲得している全国的に名のしれた真剣師、加賀敬治。
この勝負には小池さんの乗り手もなかなか、つかなかった。

小池さんの強さを信じる有志から「賭け金五十万円」があつまり、勝負となる。


対局場所は「坂田三吉王将」で有名な新世界・通天閣将棋道場だ。


多くのファンが詰め掛ける中、勝負が行われ、一敗の後、三連勝で小池さんは勝利した。

途中から缶ビールを飲んでいたという^^、凄いね。

翌日、休憩・食事なしのぶっ続け十番勝負が始まった。


結果は小池さんの四勝六敗。

前の勝負と合わせると、七勝七敗のまったくの五分だ。


勝負の後、加賀敬治はこう語っている。

「小池は今まで俺が戦ったアマ強豪の中でははっきり言って一番強い。
プロと戦っているような威圧感を受けた。 とくに終盤の迫力には驚かされた。
今度やったら俺はまず勝てないだろう」


真剣師の神様とまで言われた加賀敬治と互角の勝負をしたことで小池さんは真剣師として
商売ができなくなってしまった。


真剣師の神様と渡りあった男と勝負したがるヤツがいるだろうか?






 真剣師・小池のプロ狩り




 そして、これを期に「小池重明のプロ狩り」がはじまる。

なぜなら、プロ以外にもはや、将棋を指す相手がいなかったからだ。


昔から、プロとアマの差が顕著にあるとされているのが、

一に相撲。二に将棋と言われる。 それほど、プロとアマの差があると言いたい訳だ。


が、

小池対飯野(プロ)四段。小池さん対プロ公式戦初勝利。

 ↓
その後、対プロとの五番勝負で小池さん四勝一敗。「プロキラー」と言われる。


対戦したプロはこう語っている。


「一言で言うと、小池将棋とは逆転美の将棋である。つまり、終盤が恐ろしく強い」

「大抵のアマ強豪なら我々としても勝てる気がする。しかし、小池さんだけは別格だ。
あの人だけには勝てる気がしない」

「元・真剣師からプロになった花村九段の再来ではないか」


その後、小池さんはアマ名人となり「無冠の帝王」を返上する。

新宿の殺し屋からアマ名人になった日、仲間が集まり、盛大に打ち上げが行われた。



が、しかし。その一方で嫁さんからは、「ダメ夫の烙印」を押されている。

将棋が強いというだけで人にチヤホヤされて生活費も入れていなかったからだ。

生活の基盤が何一つない真剣師・小池重明。

この人物にはカワキタと「リンクする部分」がある。





 破滅への近道は駆け落ち?






それから、小池さんはいき付けのスナックで働き出すが長続きしない。

 ↓
将棋道場を開こうとしたが生徒がそれほど集まらず、サラ金に手を出す。

 ↓
さらに、サラ金の「自転車操業」におちいる。

 ↓
飲み屋のボーイをドツキ、しょっぴかれる。

 ↓
二日酔いのまま、大山康晴永世名人と対局し、名人角落ち対局で勝つ。

 ↓
連続二期、アマ名人位を獲得する。


 
小池さんの将棋師としての純度はますます、上がっていくのだが
反比例して人生は「破綻の極限状態」になっていく。


またしても、人妻に惚れてしまったのだ。

小池さんは将棋道場の売上金を盗み出し、女と共に逃げた。



「又、又、又、、女に惚れてしまいました。
浮気なつもりはないのです。 いつも一生懸命でそのときは死んでもいいと思ってました」



しかし、女との潜伏期間中も将棋連盟と連絡を取り、キチンと対局してるのが面白い^^。


その女は小池さんとの生活が嫌になり、姿を消した。

当時の小池さん(おそらく、34歳頃?)のカッコウといったら、女と酒で金は無く、
汚いカッコで飯代やタバコ代すらなかったという。


将棋で勝てば金が入る。

勝てばなんとかメシが食える。

そんな、状況だったのです。 悲



「将棋は勝ち続けるのですが、生活は借金地獄のままでした。
各地に呼ばれて稽古料などは多少入りましたが、焼け石に水なのです。 
アパートへ戻ると、待ち構えていたようにサラ金の取立てが一日に何回も顔をだすのです」




そんな折、夢のような話が舞い込んでくる。


「特例のプロ入り」だ。

実績からしても充分プロになる資格はあるし、師匠を立てて、文書で連盟に申し込むよう、
将棋連盟の大山会長から指示されたのだ。


連盟規定としては、二十歳を過ぎた者の棋士志願はみとめられない。

しかし、特別な天才となると特例が認められることもある。

元・真剣師からプロ入りした花村九段もいる。



小池さんは大いに期待しただろう。

これで俺もなんとか立ち直れる。 好きな将棋で飯が食える、と。



ところが、棋士の総会にかけられて検討されると、大方の棋士の猛反発を喰らい
あっけなく、否決された。


「新宿の殺し屋」なんぞと異名をとる素行も甚だしくない街の真剣師に特例までつけて
プロ入りさせる必要はない、という見解だったようだ。


小池さんを面倒見てた松田八段はこれに、怒り狂ったという。

小池さんは将棋連盟に高段棋士と対局させて採用、不採用をはっきりさせてくださいと
抗議したが連盟は拒否(逃げた?)した。


結局、小池さんは真剣師としての稼業が通用しなくなった時代となっては

アマにもなりきれず、プロにも成りきれず無用の長物に成り果ててしまったのだ。

・・・・絶望と言える。





 加速する破局





そして、これを機に「破局が加速する」。


「子供将棋教室をエサに寸借詐欺」という内容の記事が将棋雑誌に掲載されたのだ。

小池さんはプロ棋士になる事を前提に、サラ金に金を返すと言い続けてきた。
子供将棋教室をつくる名目で借りたのかも知れない。

それが仇となったらしい。

元アマ名人小池重明の「寸借詐欺騒動」を週刊誌や新聞はセンセーショナルに取り上げた。


読売新聞では5百万だったのものが、週刊現代では千五百万と書かれている。


小池さん自身も、もはや、自分の負債額をはっきり覚えていなかった。

そして新宿から姿を消した。


小池重明は「将棋界から追放」されたのだ。



「もうすべてが終りでした。もう二度と将棋を指すことはできないでしょう。
でも、将棋ではこれまでずいぶんといい目を見させてもらった気がします。
アマ名人を二回とったし、読売日本一にもなったし、グランドチャンピオン戦でも二回、

優勝させて頂きました。 ただ、人間的にはまったくダメな私でしたが、将棋だけは
ハンパじゃなかったぞ。その思いだけを胸に東京からの逃亡を計ったのです」






行き先は名古屋だった。東京から逃げられるのなら、どこでもよかったのかもしれない。


小池さんは名古屋の盛り場をうろついていた。

名古屋駅には二つの顔がある。

丸の内と日本橋を合わせたような近代的なターミナルの密集する東口と、
東京の山谷、大阪の釜ケ崎とを合わせて「日本の三大ドヤ街」といわれていた西口だ。




それから、小池さんは「ドヤ」で寝泊り、その場をしのぐ。

 ↓
競馬で大穴を当てて、九十万円を手にする。
 ↓

次の日、競馬で全部すって文無しとなる。

 ↓
日給七千円の土方で働き出す。


数日前まで競馬で勝った金で「繁華街を豪遊」してたのが、あっという間に土方の穴掘りをしている。

ものすごい、破局性です。 (苦笑)


小池さんは約二年間、土方時代を過ごしていた。




「習うより慣れろで、仕事はきついけどなんとかなっていくものです。
いつの間にか土方仲間ともすっかり慣れて現場の帰りにマイクロバスの中で一杯やったり。

~俺たちがいなくなりや、ビルも道路もできやしねえ。
仲間たちと一緒によく、山谷ブルースを謳ってました。

将棋のことは完全に忘れて、私は身も心も土方になりきっていました」



「飯場の宿舎はうるさくて、なかなか眠れないんで頭の中で誰かと将棋を指すんです」




「飯場」には色んな人がいる。

酒を飲むと手がつけられなくなるヤツ。競馬で当てたとみんなに酒を奢ってくれて、
何をやったのか早朝、刑事に連行されたヤツ。

小便に行って、そのまま帰ってこないヤツ。若いのに八年間も真面目に働き続けたヤツもいた。



しかし、小池さんは飯場の中で朽ち果てていく気にはどうしてもなれなかった。

そして、シャベルを投げ出し、現場から脱走する。

名古屋の飯場を抜け出し、東京へと舞い戻った。






 将棋の魔物






それから、小池さんはペンキ屋で雑用をやったり、職を転々とする。

 ↓
昔の知人、団鬼六を頼り、「将棋の指南役」としてそこへ転がり込む。

 ↓
団鬼六は将棋で「けっこうな額」を小池さんに巻き上げられる。

 ↓
団鬼六は将棋で小池さんを追い出そうと当時の「トップアマ強豪」と対戦させる。

 ↓
小池さんはこれを、4~5人返り討ちにする。



将棋を二年間もの間、まともに指していない小池さんに当時の、トップアマが勝てないのだ。

まさに、「将棋の化け物」である。


小池将棋は確かに、序盤は弱い。
プロでは序盤に立ち遅れるのは到底、考えられないが、「小池将棋」は中盤から終盤にかけて、

ものすごく、強いのだ。
対戦した相手は江戸時代の棋士のような、「異常感覚の持ち主」と表現している。



このとき、小池さんは四十歳を過ぎていた。


知人のつてで半年程焼き肉屋の店長として真面目に働いていたが、

またしても!


人妻と駆け落ちすることになる。しかも、ヤクザの嫁。 (爆)

焼き肉屋の「売上金を着服」し、女と逃亡したのだ。






 小池重明、最後の逃避行



そこから、小池さんは「ヤクザの女と子供」を連れて、お世話になった
団鬼六の家に飛び込んだ。

 ↓
トラックの運転手として、働き出す。

 
周りの目からは仲睦まじい夫婦に見えたらしい。それほど、本気だったようだ。


が、幸せは長続きせず、小池さんの「身体に異変」が訪れた。


いきなり、大量の血を吐いたのだ。

医師の診断で「食道静脈癌破裂」と診断された。

長年の飲みすぎと過労で肝機能が低下した結果らしい。


これには、一ヶ月は入院して、「硬化療法」をしなくてはいけない。

あっと言う間に生活は行き詰まり、小池さんの嫁(結婚した?)は昼も夜も働き、
生活を支えたという。


まともに働けなくなった小池さんは団鬼六の勧めで、将棋雑誌の「観戦記」を書いたり、
団鬼六の家の雑用をして過ごす。


そして、療養中の小池さんに「最後の公式戦」の機会が訪れる。





 新旧アマ名人対決






天野アマ名人対小池重明の「新旧、アマ名人戦」である。

小池重明という人は生き方こそ、デタラメなのだが将棋に関しては実績を残している。
二期連続アマ名人を獲得していて、竜王戦でもプロ三人を相手に連勝してる。


「稀代の天才真剣師」と現在のアマ名人。

対局場は静まり返り、異様な雰囲気を発していた。


~結果、二局とも小池さんの連勝。
勝負が終わった後、記録係も含め、観戦者たちはしばし、呆然として声を失っていたという。



小池重明は将棋の魔物だ。


将棋雑誌、『将棋ジャーナル』にアマ名人対決の棋譜が載ったが、物凄い反響を呼んだ。


なぜなら、天野アマ名人は当時のプロ竜王戦にアマ代表として参加し、プロに連勝、
アマ・プロ共に高く評価され、歴代アマ名人の中でも強いアマ名人と呼ばれていたからだ。


その、「トップアマ名人」にブランクのある小池さんが連勝するなんて。
ちょっと、信じ難い。


この対局を解説した佐伯プロ八段はこう述べている。


「小池さんの将棋は我々プロとしては評価しにくいものがある。
技術的にどうこういうよりは、異様なばかりの特殊感覚も持ち主といえるだろう。

勝負の駆け引きの巧妙さ、勝負師としての度胸と感覚は傑出したものが感じられる」








 小池重明の最後




最後の公式戦対局後、小池さんは再び病院に運び込まれた。

「対天野戦」に心血を注いだからなのか、洗面器に半分ぐらい喀血したのだ。

医者に「節制して一年、しなければ半年しかもたない」と宣告される。


小池さんの嫁は献身的に尽くしていたが、小池さんは錯乱状態(?)で
暴力を奮っていたという。


女に男ができたらしく、問い詰めた結果らしい。

そして、小池さんの人生最後の女(菊美)は小池さんと分かれて逃げた。



最後までお世話をした団鬼六氏にこう言っている。

「すみませんが、先生のところにある日本刀を一本、お借りできませんか」

「菊美を殺して僕も死にます」



医師から死を宣告され、最後の女と信じていた人に逃げられた心情は計り知れない。



病院から脱走したり、自殺を図ったこともあったようだ。

そして、病院でそのまま、帰らぬ人となった。

生命線のパイプ管を自分で引きちぎったというのだから自殺なのかもしれない。



小池重明は「人に嫌われ、人に好かれた人間」だった。

放浪癖の抜けない天衣無縫な人間だった。

将棋の天才的才能がありながら、それを生かしきれなかった。


「天才とは醜聞を起こし得る一面を持つ」 という芥川龍之介の言葉があるが、

最後は酒と女に溺れ、短い人生を終えた「天才真剣師」、それが小池重明だ。


とにかく、ダメな人生を歩んだ人物で、面白く、そして凄い人間だ。




小池さんの最後の言葉。




「行き場のなくなった私を心地よく迎えて下さり、感謝の念に耐えません。

子供のうちに亡くなる子もあれば、
九十過ぎても元気な人がいるように、人間には持って生まれた寿命があるように思います。

怖くないと言えば嘘になりますが、意外と冷静な気分です。
やりたい事は全てやって来たので後悔はありません。 病院に入りっきりで死にたくない。

もう一度酒を飲み、競輪をやりたいと思うと死にたくないものです。
生きていく気力は医者にもたないと言われた時、女房が逃げたときに全てなくなりました。

少し将棋が強いだけの私に、こんなに良くして頂き本当に有難うございました。
今度生まれ変わった時は、菊美と死ぬまで仲良い家庭を築きたいと思います。

キリシマに連れて行ってもらった時、

~こんなにやせて・・・・

と言いながら流してくれた一粒の涙が何よりも嬉しかったです」






小池重明は生前、「懺悔録」「流浪記」を書き記している。

「破滅型の人生」を歩みながらも、小池さんは恋愛には純粋だったと思う・・・。

稀代の天才真剣師、将棋の魔物であった小池さん。

彼の破天荒な人生、そして、将棋の強さが将棋界に深く残ることを願っています。




ここまで読んで頂き、ありがとうございます。

最後に「生きあたりバッたり、コラム」も書いてますのでもうしばらく、おつき合いください。








~意外と知らない将棋の「雑学」アレコレ


将棋の起源はなんと、古代インド!
チャトランガ(4人将棋)がベトナムなど南方航路を経て日本に伝授された。

世界には将棋と同じようなゲームがいっぱいある。

言わずと知れた西洋将棋、チェス 。日本の将棋との最大の違いは、チェスは「取った駒は再利用できない」。

中国将棋はシャンシー、韓国将棋はチャンギ、チェスに似た、タイのマックルック。

タイやインド、ミャンマーの駒は立体的だ。
それぞれルールは色々あって、複雑化してるけど、日本人はやっぱ、「日本将棋」でじゅうぶんでしょ。^^

世界レベルで言うと、将棋より囲碁のほうが人気らしい。 外人さんが覚えやすいんでしょうか。

プロ棋士(四段以上)の年収はABCでランク分けされてて、収入も対局数、タイトルにより異なる。
ネットの情報によると、最高年収は1億(?)とか言われている。




私が選ぶ、三大棋士!


将棋界で歴代1位の対局数を誇る、加藤一二三さん。通称、ひふみん。 アウト×デラックスでおなじみの「コミカルなキャラ」が、
たまらなくセクシー。 笑

二人目はもちろん、小池重明さん。ジュウメイって言われてるけど、本名はシゲアキらしい?
あの・羽生さんとも対戦したことがあるとか。 小池さんはなんか、人間性が凄い!

最後は羽生善治さん
日本の将棋の歴史で「一番つよいんじゃないか?」と言われている。将棋のタイトルを25歳で総ナメ!チェスでも日本一!数々の伝説をもつ。


三大棋士イメージ1t4



私が選ぶ、四大女流棋士!


棋士=男性棋士というイメージが強いが、もともと、将棋の世界には男女の区別がない。
ネットで可愛いと言われている女流棋士。

奨励会(将棋の養成機関)では26歳とゆー年齢制限があり、全員ピチピチです。

四大女流棋士a4ttu

ついでに言うと、滝川クリステルさんも将棋似合いそう。

「王・手・な・し」って言ってほしい。





ついでにリンク→ 将棋連盟





カワキタさん



~生きあたりバッたり、コラム~


小池重明さんのように、なにか一つのことに強く、その一方で破滅的な人生を歩む。

これは、人間のサガと言うか。人の本質的な抑えきれない衝動なのかもしれない。

でも、この人物は将棋に関しては他も認めるほど天才的だった。

ひとつのことに執着し、信念をもてば強くなれると感じた。

自分自身カンペキな人間では決してないが、小池重明氏の「天才型破滅人生」には多くを学ばせてもらった気がする。

人間は絶対にミスをし、過ちを犯す。 でも、本当の過ちとは、「過ちを省みないこと」だと思う。


それでは、今日も「生きあたりバッたり」。



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Tag:漫画

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